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No.12

つつい・やすたか
 1934年大阪府生まれ。SF黎明期の1960年にSF同人誌「NULL」を主宰。著作に「虚人たち」(泉鏡花文学賞)、「夢の木坂分岐点」(谷崎潤一郎賞)、「ヨッパ谷への降下」(川端康成文学賞)、「わたしのグランパ」(読売文学賞)など多数。俳優としても活動中。

喫煙者と反喫煙者の心理分析。

曾て社会学者のブーアスティンは、自分の中に確固たる指針を持ち、他者とは一線を画した独立心を持つ人物の類型をジャイロスコープ(コンパス)型と呼び、それとは反対に周囲を見て自分の行動を決め容易に他人に同調する人物の類型をアンテナ型と呼んだ。言うまでもなく文明人の性格類型は旧パーソナリティのジャイロスコープ型から新パーソナリティのアンテナ型に移ってきているわけであり、ブーアスティンはテレビに代表される大衆文化のあり方がアンテナ型になりつつあることに警鐘を鳴らしている。

最近では精神科医の和田秀樹氏が、人間のパーソナリティを大きくふたつに分類し、旧パーソナリティを躁鬱病型のメランコ人間(鬱病を意味するメランコリイからの命名)と名づけ、新パーソナリティを精神分裂病型のシゾフレ人間(統合失調症を意味するシゾフレニアからの命名)と名づけている。

メランコ人間は自分へのこだわりが強く、すべての主役は自分である。自分のやっていることは正しいと確信していて、自分は何をやってもうまくいき、金などはいくらでも儲かると思っている。その裏返しで、うまくいかない時は自分を責め、貧乏になるのではないかと恐れる。そのような責任はすべて自分にあると痛感するのである。この性格類型は旧パーソナリティのジャイロスコープ型に相当する。つまり彼らには「自分がある」ということだ。彼らは主体性やアイデンティテイを持ち、自分なりの行動規範を持っているのである。

一方シゾフレ人間にとって、世界というのは周囲であり、他人のことである。周囲の動向によって自分の意見はすぐに変るし、そもそも自分の意見など最初から持っていない。摩擦がなくて済むなら他人と同調し愛想よくしていた方がいいと思っていて、言われたことしかしようとしないし、自分の好みもみなと同じ方が気が楽なのである。広く浅く付きあえるパーティなどは好むが、それ以上の深い交際は御免蒙りたいと思っている。メランコ人間よりも乳幼児に近い心理状態にあり、他人の評価をやたら気にする。

もうおわかりかと思うが、このシゾフレ人間こそが反喫煙者の中核である。嫌煙権運動の先進国アメリカから十年のタイムラグを経て日本に入ってきたこの運動は、まさにアメリカにおけるシゾフレ人間の台頭と軌を一にしている。特に幼児性の強い精神病理として摂食障害つまり大食いしては吐くというブリミアや、いじめというスケープゴーティング現象や、援助交際や少女売春、さらにはおやじ狩りやチーマーといったストリート・バイオレンスもすべてアメリカが先行している。これらはみなシゾフレ人間の行為であり、個人主義である筈のアメリカなのに、仲間うちでの意見は実に簡単に一致してしまうのだ。周囲の雰囲気に逆らえず、すぐみんなと同じになるのはシゾフレ人間の心理そのもので、和田氏は「社会のコンセンサスができあがってしまうと、少数意見が許されないのもアメリカの社会道徳の特徴である。タバコのみの人権を認めろとか、女性は働かずに家庭を守るべきだなどとは口が裂けても言えないのである」と言っている。

アメリカの精神病理はすぐ日本に伝播するから、これらは今や日本における精神病理と言ってもよい。周囲、特にマスコミの言うことが即、常識になってしまうのも、本人はそう思っていないにかかわらずすぐに他人の真似をしてしまうシゾフレ人間なればこそである。いちばん悪いことは、そう指摘されてもシゾフレ人間がそれをまったく自分のこととして認識できないことだ。この点でも、自分の間違いはすぐに認めて強く自分を責めるメランコ人間とは大きく異なるわけで、皆と同じことをしていて何が悪いという心理が根幹にあるため、何を言っても聞き入れることはない。

マスコミが嫌煙権運動に同調している以上は、喫煙は悪いことに決っているわけであるから、その善し悪しを議論するのはどうでもよく、どうすれば喫煙者を殲滅できるかだけをひたすら論じることになる。マスコミが今までどんな間違った報道をしてきたか、それによる弊害がいかに大きなものであったか、それを説いてもシゾフレ人間は聞く耳を持たない。それどころかマスコミの誤った報道を信じてその弊害を増大させてきたのもほとんどの場合シゾフレ人間である。これについては和田氏の著書に詳しいので、ここでは省略させて貰うが、例えば和田氏は、日本は個人金融資産が1412兆円で世界一であり、世界一の外貨基準高であり、世界一の債権国であるのに、新聞が「不景気」「不景気」と書き立てたため、これを信じたシゾフレ人間たちが物を買わなくなって現在の不景気があるのだということを経済学的に証明しているのだ。

たまたまシゾフレ人間が喫煙者だった場合はたちまち幼児性を発揮して、自分が煙草がやめられずに健康を害した責任は政府にあるなどとして裁判を起す。喫煙者の風上にも置けぬ連中であり、煙草を良きものとして断固喫煙し、自分の責任は自らがとるメランコ人間としての真の喫煙者とは、断固、一線を画してもらいたいものである。

煙草は文化である。なくしてはならない貴重な文化である。これを守るために今、喫煙者たる自分に何ができるかをわれわれは考えなければならない時期にきている。

一年間おつきあい戴いたこの「紫福談」も今回が最終回となった。ご愛読を感謝すると同時に、今後も喫煙の楽しさを諸兄と共に追求していきたいと願うものである。

(完)

お世話になりました。一年間、連載させていただいて、ほんとにありがとうございました。一度、Go smoking の皆さまと、楽しく語り合う席を持ちたいと思っております。今後もどうぞよろしくお願いします。