special

No.12

つつい・やすたか
 1934年大阪府生まれ。SF黎明期の1960年にSF同人誌「NULL」を主宰。著作に「虚人たち」(泉鏡花文学賞)、「夢の木坂分岐点」(谷崎潤一郎賞)、「ヨッパ谷への降下」(川端康成文学賞)、「わたしのグランパ」(読売文学賞)など多数。俳優としても活動中。

わが喫煙歴

高校では演劇部の生徒がいつも学校からマークされていた。煙草は喫う、不純異性交流がある、出席ままならず。おれ自身はさほどのワルではなく、ただ芝居が好きだから入っただけだったが、上級生たちとの共演で森本薫の「華々しき一族」に出演した時には舞台で煙草を喫った。これがわが喫煙歴の最初である。前の方の席で観劇していた先生たちが苦にがしげな顔をしているのが面白かったが勿論演技に必要ということなので文句は言われなかった。おれを認めてくれていた漢文の石井先生だけが、おれの芝居を見ながら嬉しそうににこにこしていたことを思い出す。

十六歳から喫いはじめているから、もう五十五年の喫煙歴ということになる。といっても高校時代はほんのたまに、親父の煙草をくすねたり、友人からすすめられたりするだけで、むしろこっそり喫うスリルを楽しんでいただけだったと思う。親父は「光」というあまり高級でない煙草を喫っていたが、これはずいぶん強い煙草で味も悪く、おれはあまり好きではなかった。本格的に喫いはじめたのは大学に入ってからで、主に「ピース」を喫っていたが、高級煙草の「富士」なんてものを喫っていた時期もある。入学と同時に関西演劇アカデミーという研究所に入って演技の勉強をし、そこの所属劇団を経て青猫座という劇団に入った。その間ずっと煙草を喫う芝居に出続けていて、日常では常に「ピース」であったが、この頃にはまだフィルターつきというものはなく、両切りのレギュラー・ピースであり、喫い続けた末、やがて立派なヘビースモーカーに成長した。家で缶入りピースを喫うようになったのは、作家になってからではなかったかと思う。というわけで、ついにフィルターつきピースを喫ったことはなかった。あの缶入りピースは容器を含めて日本の煙草の傑作であり、あれ以上の煙草はないような気がする。

後年、筒井康隆大一座を作った時に舞台監督をしてくれた故・大川修司は、常にこの缶入りピースと徳用マッチを持ち歩き、舞台監督用のテーブルにでーんと置いていたものである。粋がっていたのかもしれないが、格好よかった。

ある機会にアメリカ煙草の「MORE」を喫ってみると、これは細巻きの煙草なので唇の薄いおれにはなかなか具合がよく、味もいいので以後これを喫うようになった。むろん緑色のメンソールの方ではなくて赤いレギュラーの方だ。ずいぶん長い間喫っていた記憶がある。ところが如何せんこの煙草、長すぎるため、執筆中に吸いさしを灰皿に乗せておくと忘れてしまい、次の煙草に火をつけたり、時には灰皿から落ちて机を焦がしていたりする。もう少し短い煙草はないかと思っているうち、「VOGUE」という煙草の存在を知った。新たに発売されたばかりの時期だったかもしれない。名前はボーグなどとフランス語だが、純然たるアメリカ煙草である。これにもレギュラーとメンソールがあり、婦人向けらしくてメンソールは自動販売機などでよく売られているのだが、レギュラーは少ないようだ。最初は神戸でしか手に入らなかったのだが、その後東京でも売られるようになった。

かくて現在でも「VOGUE」を喫い続けていて、もう十年以上になる。喫煙量はやや減って、一日平均十五本といったところである。

今月のお薦め

神宮前四丁目のヘアスタイル・ショップ 「NALU(ナル)」は
喫煙者向きだぞ!

以前原宿「アクア」でNo.1だった浜口君がビルの地下でやっている店だ。カットとパーマが六千三百円でカラーリングが七千三百五十円。通常こういう店は禁煙だが、この店はパーマやカラリングをしている最中でも、退屈してタバコが吸いたくなれば一階の喫茶室へ行って喫うことができる。喫茶室「NALU」も同じ経営でコーヒーが四百五十円、ハーブティが六百円、ケーキもあるし軽食のメニューも豊富である。

テイクアウトの容器に入れてもらって地下へ持って降りることもできる。夜なら酒や食事もでき、焼酎の種類も豊富。一流のヘアカットと飲食と喫煙がセットでできる優れた店であります。電話での予約は03-5786-1781。喫煙できないからヘアカットには行かないという人は「NALU」へ行こう!