内野せせり
製薬会社で3年ほど研究職をやっていたが、浅はかながらも、人並みに人生について色々思うところあり、現在は南信州・アルプスのふもとで山暮らし中。

当方、喫煙歴4年目の女性。

タバコをはじめてからというもの、世間の喫煙バッシングの風潮には辟易としている。どうやら、健康問題や火災などに関連した害悪(の可能性)以上に、喫煙者の人となりに関する悪い印象が独り歩きしているようだ。非難されるだけならまだしも、喫煙可能な場所を減らされたり、税金まで引き上げられてはたまったものではない。こちらは真摯にタバコ文化を生活に取り込んでいるのだ。

私は、発祥であるネイティブアメリカンの精神性にあやかって、心を静かに真っ直ぐ保ちたい時など、ここぞという場面でタバコを活用しているつもりなのだが、アンチスモーカーからすれば、グレた高校生のポイ捨て路上喫煙と大差はないようで、とにかく風当たりが厳しい。女性が吸うとなると、なぜかさらに厳しいようだ。

思い起こすと周囲にいた喫煙家の女性の多くは、「すれっからし」という言葉がよく似合う、一見近づきがたい雰囲気の人々だった。クールに仕事をこなし、休憩タイムになると、タバコを片手に世間話をしながら最後に「フッ」と鼻で笑うような、、、まぁ大体そういう感じ。

なにぶん浅はかなので真面目に考察をする気はないが、ココ・シャネルをはじめ、過去の有名な女性喫煙者たちが比較的多く持ち合わせていた、反体制の闘士的オーラや、あるいは戦い疲れたすれっからし姉さんのイメージと、世間の“女性は無垢で素直であってほしい”という願望とはどうしても相容れないものなのかもしれない。

私の場合は、外見が「素直なインテリお嬢さん」なので、反感というよりもむしろびっくりされたり、悩み事があるのかと心配されることが多かった。もちろん悪い反応ばかりではなく、愛煙家たちからは、「仲間」として、ひときわ親切にしてもらえたものだった。(過去の話として書いているのはなぜかというと、現在は山暮らし中で外部の人とほとんど会う機会もなく、もはやひ弱なインテリお嬢さんではないため)。

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先述のとおり、私は瞑想の補助アイテム的にタバコを吸っている。

参考までに具体的なやり方を簡単に説明すると、

@ まず、キセルに両切りタバコを小さくちぎって詰める。
A 点火前に、自分の心身の状態を観察し、消し去りたい思考や感情、雑念に焦点を合わせる。
B クラクラするくらいの勢いで一気に煙を吸い込む。
C はるか上空の彼方へ心身のノイズを吹き飛ばしてしまうイメージで、煙を吐き出す。
D 澱んだ感覚が流れ切ったと感じるまで、しばらく瞑想を続ける。

今、自分が抱えている問題は、果たして本当に自分のものなのか。何が認識できていないから、その問題を自分と切り離せないのか。「わからないで葛藤している自分」「何かを恐れて緊張している自分」から一歩引いて、その様子を観察する。これだけでも、だいぶ心の平静を取り戻せる気がする。もちろん、ただ漫然とふかしているだけでは効果は得られない。

ちなみにキセルは真鍮でこさえた自作品で、ふだんは鹿革のケースに入れている。個人的に細々モノづくりをしているだけなのだが、知り合いに頼まれて専用の革ケースとセットで5〜6千円程度で売ることもある。キセルと一緒にいつも持ち歩いているタバコ入れは、仲間に作ってもらった銀の工芸品だ。

私にとって、タバコは大切な生活文化なのである。