高森 幸祐
1980年代生まれの20代。
煙草への関心はものごころつく前からあるらしい。 「ピース」「ゴロワーズ」「ゴールデンバット」と、両切り煙草にとくにこだわりを持って喫煙しており、現在は専ら「バット党」。あこがれの煙草は両切りの「キャメル」。

私が煙草の友として慕っているパラマウントの女優がいる。キャロル・ロンバード、1930年代に雑誌に掲載された「ラッキーストライク」の広告で煙草を燻らせる美女である。

私はこのレトロポスターをインターネットで購入した。煙草が好きで、昔のアメリカにあこがれる私にとって、これはまたとない品物である。500円という価格も気に入った。

それからというもの、この女優が煙草の時間のよきパートナーのなったことはこのコラムで前に書いたとおりだ。

だが、この広告には、よくみるとちょっとおもしろいことが書いてある。彼女が「ラッキー」を吸うことに決めた理由である。現代人の想像するに、昔の人なら「上品でまろやかな吸い味」とか、「映画業界で流行の煙草」などという理由で煙草を選びそうなものだ。嫌煙のむずかしい方々がまだ少なかった時代、堂々と煙草は吸えたし、煙草を吸うことに今のような抵抗もなかっただろう。

しかし、この広告は面白いことを物語っている。題は「歌の先生は軽い煙草を勧めた」。彼女は、「映画で歌を歌わなければならないと決まったとき、煙草をやめようと思った」と書き出している。そこで、歌の先生は彼女に「ラッキー」を勧める。それは喉にやさしく、歌手が喫煙しても大丈夫だからだそうだ。彼女はラッキーのおかげでそれからも煙草が吸えるようになったのだ。

歌手が喉の心配をしていたのは今も昔も変わらないようだ。とくに女性の歌手になると、別の問題もある。

当時はまだ、女性が公然と煙草を吸い始めて間もない時代である。女性には軽い煙草が求められた。それは、ジェームズ一世の時代から「煙草は体に悪い」というのが決まり文句だったからだ。男性よりも弱く、子供を産むという責任重大な仕事を負わされた女性が、男性より軽い煙草を選ぶべきだという発想は、いくら女性の進出が著しい世の中とはいえ、やはりつきまとったのである。

いまも「女の子煙草」という発想は健在だ。ピアニッシモ、ヴァージニアスリム、細く、かわいらしいパッケージの煙草が煙草屋に並ぶ。

どんな煙草を選ぼうと人の自由であるが、おもしろいのは1930 年代の煙草の広告が、いまとちっとも変らないことである。その例はこのほかにもたくさんある。同年代の「キャメル」の広告は「医者の多くがキャメルを選んでいる」と主張している。おいしく煙草を吸うことよりも、安全に煙草を吸うこと、そんな思想が昔からあったことをうかがわせる。その後、フィルターシガレットが登場し「煙草は安全です」というあからさまな広告がテレビでも放映されるようになる。

こうした広告が煙草の運命をよい方に運んだか、わるい方に運んだかは、いまや明白だと私には思われる。喫煙者のいくらかは、この広告を鵜呑みにして安堵したかもしれないが、こうした広告によって、喫煙者にも、嫌煙者にも不信感を募らせる結果となったのではないだろうか。

私たち愛煙家のなかには「煙草が体に悪いという決定的な証拠はまだない」と主張する人が結講いる。私もそう思うけれど、私にとって煙草が体に悪いかどうかはあまり問題ではない。数ある嗜好品のなかから煙草を選んだ以上、たとえ体に悪くても仕方ないと思うからだ。そういう私にとってあのラッキーの広告やキャメルの広告は歪に思えてならない。アルコールの危険性を躍起になって否定するお酒の広告など、私は見たことがない。煙草の広告と比較したとき、私はそういう禁酒主義者を意に介さないようなお酒の広告をクールだと思う。

煙草は嗜好品、味のよさや、パッケージデザインの芸術性などで選びたいものだ。